タクシーエッセイ

空車のタクシーが…

 あー、久しぶりのお客さんだ。
 女も空車を捉まえたという安堵感からか、路肩へ退いて、ドアの開くのを待つ。
 
 不思議なのは、若い女だと、車が止まりそうになると、顔を俯かせたり、髪で顔を隠したりする。手も下ろす。
 気安く顔を見せちゃならんと思っているのか。
 それはともかく、車を止める直前に手を下ろすのは、時に運転手に誤解を招くことがある。遠目には手を上げていたのに、近場になってから手を下ろされると、なんだ、そうか、さっきのは髪を掻き揚げる仕草だったんだな、空車を止めるための動作じゃなかったんだ、と、早とちりする運転者は、ブレーキペダルから足を外し、アクセルを吹かして、さっさとその人の前を立ち去ってしまおうとする。
 そうしないと、後続の空車のタクシーに先を越されてしまうからだ。
 
 が、タクシーを止めるつもりだった女性(大概、デリカシー溢れる若い女性のことが多い)は、せっかく止まりかけた空車が自分を見て慌てて走り去っていくように見えるに違いない。
 ああ、若い女の客だ、近場だ、だから乗せるのを敬遠したんだわ、なんて誤解しちゃう。
 
 とんでもないのである。男か女か、年輩の人か若い女性かどうかは百メートル先からとっくに分かる。何も近付いてしげしげ見て客の判別をする必要など、まるでないのだ。
 運転手は咄嗟の判断を常に迫られている。せっかく止まったのに、顔を俯かれ、時にやや後ろ向きに姿勢を変え、しかも、手はしっかり下ろされてしまったら、一瞬、遠めには手を上げたんだし客だと思ったのは運転手の誤解に過ぎず、他の車の来るのを待っているか、道路を横断しようとしているだけなのか、いずれにしても、自分の車はお呼びでなかったのだと、がっかりの思いで急いで次の誰かを求めて走り去るしかないのである。

 運転手の早とちりの面も多々あるが、混雑する交通環境にあっては、また、後ろに他社の空車がこちらにちょっとでも隙があったら先を越すぞという構えだったりすると尚のこと、瞬時の判断を迫られるということ、また、若い女性の傍に意味もなく止まっているというの、たとえそれがほんの数秒にもならない短い時間であっても、不審の念を持たれかねないのである。こちらとしても、誤解を抱かせないよう、さっさと行き過ぎる。

 とにかく、タクシーが止まったら、再度、ちょっと手を上げておいたほうがいいかもしれない。

稲毛海岸駅はどこにありますか?

 過日のことである。
 その日は小生に限らず営業的には概して暇だった。こんな日は、とにかくコツコツと仕事するのが一番。
 でも、回数を重ねても売り上げが飛躍的に増大するってことはない。どうやっても、基本料金の660円の倍数に留まる。
 ただ、仕事が終わって営業所に戻り、売り上げを計算すると、近場のお客さんをこまめに拾ったことが結果的に大きな差になってくる。たとえ日に一回か二回でもそうしたお客さんを見逃さずに乗せておくと、月に12回の営業として、一万円の営収(営業収入=ここから会社の徴収分が4割ほど引かれていく…)の上乗せがなり、足きり金額を越えるかどうかの瀬戸際の時に大きな意味合いを持ってくる。
 足きり金額というのは、会社としてタクシードライバーに課す最低限の売り上げで、これを越えると営収の6割が運転手の取り分となるのだが、下回ると5割が会社へ。
 足きり金額を越えるかどうかは、1割の差であり、大きい!
 月の締めが近付き、特に最後の日ともなると、越える見込みがあるか、既に越えているか、あるいはまるで見込みがないかで気分が相当に違う。

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↑ 1月23日、内堀通りの交差点。信号待ちを利用して。車内から撮っている。窓ガラスに腕もデジカメも映っている。快晴だ。が、寒い。前日の雪が日光にも溶けない。

 余裕で越えているか、全く越える見込みがないなら、いずれにしろ月12回の営業の最後の日は、まあ、通常通りのペースで営業するが、問題は月の12回目の営業が足きり金額達成ギリギリの日である。
 もう、プレッシャーである。具体的には足きり金額は48万円である。11回で45万まで売り上げていたら、最後の日は3万円でいいわけだから、余程、サボったり、トラブルに巻き込まれたりしない限りは、幾らなんでも越えるだろうと判断できる。

 これが11回目までで44万だったらどうか。
 好況の折だと、一日で4万円の売り上げなど軽がると達成できるのだが、依然として構造不況(規制緩和でタクシーの台数が飛躍的に増えてしまった。世の中の景気に敏感に反応してタクシー業界も好調となるという過去にあったかもしれない図式は壊れてしまった。ある元通産省の役人で作家となった、団塊の世代などの流行語を流行らせたことでも有名な人の託宣だと、タクシーは今や年金生活者の小遣い稼ぎの業界となったとか!)の最中にあるタクシー業界にあっては、4万円というのは油断ならない数字なのである。
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「煤払」…末期の一服

「煤払」は、この季語随筆で昨年の12月、すでに採り上げている。その表題も「煤払い」と、そのまんまで分かりやすい。
 季語としての「煤払」については、大凡のことはその記事の中に書いてある。
 なのに、一年を経過して(未だ扱っていない12月の季語・季題は数多くあるというのに)再度「煤払」を話題に採り上げるのは、季語として記述しておくべき重大な事項が抜けているのに気付いたから、というわけではない。
 昨年の「煤払い」においても、話題は特に後半の部分は、季語としての「煤払」より、専ら煙草に焦点が合っていた。
 実は今日、このキーワードを糸口に扱うのも、煙草に関する話題である。
 昨年の当該の小文を読まれたら、煙草には人一倍関心がある小生なりの事情の一端も分かるだろう。

 昨日、営業中、ラジオから煙草に関するニュースが流れてきた。マンションなどの耐震データ偽造問題などの陰に隠れていて世間的な耳目を集めにくいはずだが、それでもNHKはさすがに漏らさず報道してくれるのでありがたい。
 そこでニュース記事が削除されてしまわないうちに、関連する記事NHKのサイトから一部を抜き出しておく。
 といっても、児童手当が従来の小学校3年生までだったものが、今度の税制改正で6年生までに拡充された、その際の財源として、煙草に課せられている税金が、1本当たり1円ほどアップされるというニュースではない。 続きを読む

年末に思う(我が日記より)

 或る日、タクシーの車中でこんなことを思っていた:

 その日は予報では午後から晴れるはずだったのに、午後の一時半過ぎから小糠雨が、それがついには雨模様となってしまった。一時は空も明るくなってきた感じがあったのに。
 車中には読む暇などないと思いつつも、正岡子規の『仰臥漫録』(岩波文庫刊)を持ち込んでいる。猛烈な痛みに耐えつつ、窓外の四季の変化を過敏なほどに嗅ぎ取ろうとしている。
 己の終わりの時を意識すると世界の中のどんな風物も感覚を直撃する棘を立てているかのような鮮烈さを以って人の感性を駆り立てる。煽るようにして何事かを感じさせる。予感させる。枯れ葉でさえもが梢を離れる瞬間に悲鳴を上げているように思える。

 ひらひらと風に舞いながら、束の間の浮遊感を味わい、でも実は、舞っているのではなく風に弄ばれているのであり、浮遊感なんてものじゃなく、己の意志など無き物にされていると感じているだけであり、やがては土の上に散り敷かれ、行き交う人に踏みつけにされ、吹き寄せられ、あるいは掃き寄せられ、死骸や朽ち葉の山の一欠けらにされてしまうまでの束の間の酩酊感に酔っていたいだけ…。

 寝床に縛り付けられて見馴れたはずの部屋の様を改めて末期の目で眺める。古びてかび臭い桟、壁の罅割れや襖の滲み、擦れた畳、手に馴染んだ湯飲み茶碗、狭い台所の黴や汚れ、その全てに生きた証が擦り込まれている。
 漱石も子規も小生には曽祖父より古い世代の文人たちだけど、明治の混乱期にあって、懸命に文学とは生きるとはを考え表現してきた。
 考えてみると、いつの時代も混乱期であり転換期であり先の見えないという点にあっては同じ事情なのだろう。努め、求め、試み、悩み、迷う限りにおいては、誰にも先のことなど分かりはしないのだ。 続きを読む

季語随筆日記拾遺…タクシー篇

[季語随筆日記より(2005.05.21)。文中の画像は5月31日、某公園脇での休憩中に撮ったもの。この紫陽花の姿を目に焼き付けて仮眠…。]

 仕事柄というわけでもないが、ラジオは欠かせない車中の友である。出庫前の点検や準備、帰庫(会社の車庫に帰ること)後の日報の記入や私物などの後片付けの時間を含めると、21時間は車と過ごす。s-DSC01604_1.jpg
 営業の時間に限っても、20時間はタクシーの中に居つづける。悲しいかな不況と小生自身の努力不足もあって、実車(お客さんに乗って戴いての走行)の時間は半分にさえ届かない。というより、20時間の営業時間のうち、半分が実車だったら、売り上げがトップなのは間違いないし、4割(つまり8時間)を越える程度でも、トップクラス圏内は確実である。
 逆に言うと、営業が好調な時でも、6割は空車(お客さんにあぶれている状態、つまり、空気を運んでいる状態)で走っているというわけである。実際には空車の時間には回送で休憩に入っていたりする時間もあるが、いずれにしても、一人で車内で過ごす時間が営業時間帯中でも12時間はある、というわけである。
 その12時間(休憩を2時間、確保するとして10時間)は、何処かでお客さんを待って待機する場合もあるし、この辺りかなと狙いを定めながら走らせていることもある。

 例えば今日の午前11時に営業を始めたら、終わるのは翌朝7時頃というわけだ。この20時間前後のほぼ終日営業を週に3回、行う。週に2回の時もある。徹夜明けでトボトボと帰って、家ではグロッキー状態で、ボヤーと過ごす。仕事中は、たとえお客さんが乗っていなくても神経を常に外に向けて尖らせているし、走行中なら油断は禁物なのは言うまでもない。
 目も耳も神経も、格好良く言えば研ぎ澄ました状態で居る。それだけに、オフとなると、ネクタイを緩めるか外す状態になるわけで、体力の乏しくなった小生など、もう、叩きのめされてリングのマットに沈み込んだボクサーである。起きる気力もない。ひたすら、ダラダラ、のんべんだらりと過ごすのである。人によっては元気があって、ボーリングへ行ったり、週末にはゴルフへ、あるいは野球をする、という人も居るようだが、ただただ、凄いなーと思うだけである。

 神経を使っている。お客さんが乗っていても、いなくても。
 そうはいっても、神経をピリピリさせてばかりだと、神経も体力も消耗するばかりである。
 そこはそれ、癒すとまではいかなくても、気持ちをリラックスさせる工夫はする。和ませる先は、香りに求めたり、ラジオ乃至はステレオから流れてくる音楽や、同僚とのお喋りだったり、車窓を流れ行く街の風景だったりする。夜景、特に月影を追う心情などは、幾度となく書いてきた。あるいは、風景の中には街中で見かける草花だったり、奇妙な看板だったり、擦れ違う素敵な人だったりする。眼福のタネは人それぞれである。

 小生は車中に一冊は本を持ち込む。これはほとんど精神安定剤のようなものだ。読めるとは限らないのだが、祭日の夜中など、お客さんにあぶれてしまって、何処かの場所で待機する時間が、気の遠くなるほど長くなることが、まま(というか、しばしば)あるから、音楽を聴くだけではなく、本(地図の時もある)を読んで無聊を託つしかなくなるからなのである。 続きを読む
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